こんばんは。・w・)ノFURAです。

1番目から共感できたので、シェアしたいと思います♪
1. 階段を使えるうちに階段を楽しもう

 「階段を使おう。階段を使えるうちに階段を楽しもう。身体的に階段をのぼれなくなったら、自然に階段をのぼりたいと思うものだ」というメッセージを見た。それ以来、エレベーターやエスカレーターを使うのは誰かと一緒にいるときだけとなった。


2. 「許し」は過去を変えることはできない。だが、未来を変えることはできる

 これは、私の母のフォーチュンクッキーの中に入っていたメッセージだ。母からそれを聞いたとき、まさに母のことを語っていると思った。

 母は昔、刑務所から戻ってくる父を許している。母は父を責めて、みんなを不快な環境におくより、許すことで明るい未来を築いていこうと決めた。そのおかげで両親の結婚はうまくいった。この話は私自身がパートナーと行き詰まっているときに聞いた。私はまだ許しの達人にはなれていないが、許すことがどれだけ大きなパワーを持っているか実感した。


3. 人生は決して短くなんかない。生きている限り人生はあるのだから、一生かけてやることが人生である

 イギリスの舞台および映画俳優であるアラン・リックマンが残したこの言葉で、「間に合わない」、「もう遅すぎる」なんて言い訳にしか過ぎないのだと気付いた。


4. 「愛している」という言葉のマジック

 私はヘロイン中毒だった。そして私の大好きな叔父は癌でホスピスにいた。私は数ヶ月前に叔父が使ってた痛み止めを盗み、とても罪悪感に駆られていた。

 叔父が死ぬ前日に会いに行った。叔父は話すこともままならない状態だったが、私を見て最初に言った言葉が「とても愛している」という言葉だった。何度もその言葉を繰り返していた。全身の力を振り絞って言っているのが痛いほど分かった。叔父がその言葉を言ったとき、自分の中の何かがはじけた。そして、その言葉のおかげで私は人生を取り戻すことができた。


5. 人生はどれだけ勝ち続けられるかじゃない。負けたときにどれだけ前に進むかだ

 誕生日直前に婚約者に捨てられどん底にいた私に母と兄が送ってくれた誕生日メッセージ

母:今は勝ち馬じゃないかもしれないけど、私はずっとあなたに賭けていくから。
兄:人生の課題は、どれだけ勝ち続けられるかじゃない。負けたときにどれだけ前に進むかだ。


6. 一番大事な力

 「真の試練とはすべての力が尽きたときに訪れるもの。そして勝利は、自らの意思で自らが勝ち取るもの」


7. 父親というもの

 父親の書斎で父と一緒にいるときに、偶然税金の明細書を見てしまった。私は父に、私やきょうだいを生んだことを後悔していないか聞いた。子供がいなければ、養育費もかからないし、両親は自分の好きなことだけして生きていけたかもしれない。

 父は私の目をじっと見て、こう言った。「一度も後悔したことなんてない。お前たちがいなくて、お前たちにいい人生を与えてやろうという動機がなければ、私はこんなに一生懸命は働いていないだろう」

 これはもう25年の前の話になるが、当時の瞬間を私ははっきりと覚えている。そのとき、私には子供がいなかったが、いい親とはこういうことなのだとすぐに理解できた。


8. 我が人生に悔いなし

 父は5月に肺がんと診断された。6月に入ると私にこう告げた。「私に何が起きようと、私の人生は悔いのないものだった」。そして7月、私の20歳の誕生日の直前に父はこの世を去った。

 父の母親は父が3歳の時に亡くなっている。そして父の父親はそばにいなく、父はひとりぼっちだった。父は路上で暮らし、公園で寝ていた。そして会社に入ってからは30年かけ、自分のやり方で小さな会社の役員になった。

 人生に悔いはないという父の言葉のおかげで私は父の死を受け入れることができ、毎日に感謝しながら生きてることができている。


9. 大切な人の死に比べたらどうということはない

 私の父は約1年半前に亡くなった。最初は父の死がとてもつらく打ちのめされていたが、時が経つにつれ、受け入れられるようになってきた。父は50歳で亡くなり、私は23歳だった。

 しばらく前のことになるが、私は海外掲示板Redditでこんな投稿を目にした。

上司にどうしてこんなストレスの多い状況でいつも冷静でいられるのか聞いたところ、上司はこう答えた。「いつの日か、君の大切な人がこの世を去るだろう。それに比べたらこんなことはなんてことない」

 この投稿を読んでから私の考え方は変わった。まさにその通りなのだ。毎日、同じことを感じていた。父の死以降、物事を大局的に捉えられる様になり、私は常に冷静でストレスとは無縁となった。


10. 脳は人を支配しようとする

自分の考えていることをすべて信じるな


11. 怒りのはけ口に使っていいよ

 子供の頃、私と兄はいつもケンカをしていた。ある日、何のケンカだったかは覚えていないが、兄は私に対しこう言った。

 「君は僕以外の人にはいつも優しいから、僕に怒鳴りちらしても我慢するよ。怒りはためこんじゃいけないからね」。その言葉で私は何も言えなくなった。今は兄ととても仲良く、ケンカもしない。


12. 自分は何者でもない

 他人が自分をどう思っているかなんて気にする必要はない。たいていの場合、何とも思ってないんだから。


13. 決して学ぶことをやめるな

 私の友達は武術にはまっていて、何年間もクラスを取っていた。ある日、彼はテコンドーを白ベルトから一からやり直すと言った。私が理由を聞くと、彼は先生によって教え方が異なるから、同じやり方でも違う方法で学ぶことできるため、向上できると答えた。

 学ぶということは、多くの質問を抱えながら、時には答えが見つからないこともあるし、自分で答えを見つけることもある。同じことを2回学ぶということは、そのギャップを埋められることだという。

 なぜか、私はこの考え方に衝撃を受けた。それ以来、誰かが自分の知っていることを説明するときも、耳を傾けるようになった。自分の知っていることを聞いても失うことはないけれども、自分の知らないことを聞き逃すようなことはしたくないからだ。


14. 人生の秘密は3人のグアテマラの小さな女の子の手にあった

 理由は覚えていないが、私とクラスメートはある日、教授のオフィスを訪れた。教授のオフィスの壁には小さな女の子が3人並んだ写真があった。グアテマラの子供たちだという。

 教授はこう言った「この子たちをご覧なさい。君たちが知っている誰よりも幸せそうな顔をしているだろ。でも彼女達には何もないんだ。それでも幸せな理由が分かるかい?」私たちには答えが分からなかった。「感謝の心だよ。彼女たちにはほとんど何もないが、感謝しながら生きている。特にお互いに対して」

 あまりにも唐突だった。私たちはまったく別のことを話していて、この女の子の話が終わるともとの話に戻ったわけだが、私はこの教授は15秒で、私に幸福の基礎となる秘訣を諭したのか、と驚いた。


15. 隣の芝はいつだって青い

 私は街の高級住宅街を大切な女性と歩いていた。そこは豪華な家が建ち並び、私は思わず「こんな家で暮らせたらな」と言ってしまった。すると、彼女が「きっとステキでしょうね。でも、私たちの家を見て同じことを言う人がきっといるはずよ」と答えた。自分が彼女と恋人であることに心から感謝した瞬間だった。


16.例え身内にでも嫌な奴になるな

 僕の姉はうつ病だ。そして姉のうつ病の大きな原因となったのが僕の存在だと知った。僕が子供だった頃、僕はたしかに姉が嫌いだった。だからいつも姉に罵声を浴びせ、侮辱していた。

 姉は受動的な性格だったため、僕は姉から同じ様な仕返しを受けた事はなかった。また、僕は姉より5歳下なので、周りからはただのきょうだい喧嘩に見えたのだろう。

 大人になって、僕は姉にしたことなんて忘れていた。けれども、姉の口からうつ病の主な原因は僕だったと聞いたとき、あの頃の記憶が一気によみがえってきた。あれからもう10年以上も経つが、今でも姉の正気を取り戻してあげる方法が分からない。

 だから、きょうだいには優しくしようと、みんなに言いたい。必ずしも、いつも仲良くしている必要はない。ただ、いつか彼らが君の人生で残された家族となる日がくるかもしれない。きょうだいの存在は当たり前ではない。ひどい扱いをしたら誰だって傷つくのだ。

17. 賢い言葉

 人生はただ答えを知ることではない。自らが答えを見つけだすことである。


18. 親子の絆

 80年代半ば、私は医学生で未熟な保守者だった。きっとカトリックの考えの中で育ち、世界を見ていなかったためだと思う。

 クラスメートの1人に結婚をしている女性がいた。彼女は旧姓のままだった。当時は、珍しいことだった。だから、私は彼女になぜ旦那の姓に変えないのか理由を尋ねた。

 彼女は姓の役割というジェンダー論を持ち出すのかと思っていたがそうではなかった。彼女は義理の父(夫の父親)をとても愛しているし、彼を偉大な男性だと思う、と答えた。だけど彼女を医学に通わせるため2つの仕事を掛け持ちし、育ててくれたのは義理の父ではなく実の父であるという。

 彼女は、実の父親が彼女の通っている大学病院を通るたびに、看板で自分の名前が見られるようにしたかったのだ。「父のおかげで私はここにいることができたから」と彼女は言った。

 こんなシンプルな言葉が自分の考えを180度変えるほどインパクトがあることに私は驚いた。あれから35年経った今でも涙なしでこの出来事を伝えることはできない。

 そして、意見というものは人の考え方によって形成されていることを思い知らされた。ある行為には思いがけない理由が隠されていることもあるのだ。彼女の言葉を聞いた後、私は他人の意見を否定する前に、できるだけその人の観点から考えてみることを心がけるようになった。


19. すべては物の見方である

 車椅子に乗っている男性に会った。彼はよく人から車椅子で大変だろうと聞かれると言った。しかし、彼は「自分は車椅子に縛られているのではなく、車椅子により解放された」と答えていると言う。車椅子がなければ、ベッドに寝たきりで部屋や家の外には行く事ができないのだから、と。


20. よい1日にすることは、悪い1日にすることと同じくらい簡単

 私の祖母は女子学生クラブにいて、少し嫌みな女性だったらしい。ある日、別の女子生徒が祖母に向かって丁寧にしかし断固とした口調でこう言った。「よい1日にすることは、悪い1日にすることと同じくらい簡単なのよ」と。

 これは常に正しいわけではないが、祖母はこの言葉で物事の見方が変わったと言った。私は祖母が昔、意地悪な女性だったとは考えられない。祖母は決して罵ったりしないし、いつも優しかった。だが、祖母によるとこの言葉で彼女の人生が変わったそうだ。


21. ママに必要なのは助けてもらうこと

 私が7歳の時、私の母と仲の良かった大叔母と大叔父が家にはいった強盗により惨殺された。犯人は近所に住む男の子だった。彼は別の家を狙っていたようだが、誤って大叔母と大叔父の家に入ってしまい、動揺して2人を殺してしまった。

 彼らの死は母を打ちのめした。何ヶ月も私たちを放っておいて、一緒に食事をとらなかったことを覚えている。心を閉ざし、もはやこれまでの母とは別人になってしまった気がした。

 そんな時、偶然にも2年生(7歳)だった私は学校でうつと対処法について学んだ。その日、母が仕事から帰ると、私は母が車で出かける前に、一緒にドライブウェイの端まで歩いていいか聞いた。母はもちろんいいと言った、そして5分間一緒に歩き、こんな会話をした。

私:ママ最近悲しそうだね。
母:そうね。最近、いろんなことがあってね。
私:叔母の〇〇と叔父の〇〇のこと?
母:そうよ。
ードライブウェイの端につくまで長い沈黙ー
私:対処法について聞いたことある?
母:対処法?どこでそんなことを聞いたの?
私:今日の授業で習ったの。嫌な事があると人は悲しくなるんだって。そういう時には助けを求めるのが役に立つって。だからママは助けを求めるべきだと思う。

 私の母は膝をついて泣き出し、笑い出した。7歳の娘が母親にこんなことを言ったのが驚きだったらしい。そして私を抱きしめた。母は私に対処法を試すといい、家に戻るように言った。

 そして私が大きくなってから、母は私に告げた。あの時、私が助けを求めなよと言ってなければ、どうなっていたか分からなかったと。当の私はその日のことをあまり覚えていない。そんな私が言った言葉がそれほどインパクトがあったということに驚いた。私は母が悲しそうだったのは覚えている。そして、母がよくなったことも。でも私がその理由だったとは思いもしなかった。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52228235.html
会社のカレンダーには最近こんな言葉がかかっていました。

『好き嫌いを決め、遠ざけているのはすべて自分が決めたことである。』

食べ物の好き嫌いはその人が勝手に決めていること。

食べてみればなんだっておいしいのだ。なんだって好き嫌いせず、果敢にチャレンジしてみないか。

それじゃ。・w・)ノシまたね。
FURA